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概要

写真集と感慨

写真集をどのように定義するかによってその起源はまちまちであるが、「複数の写真をまとめた複製可能なもの」の始まりとしてはタルボットによって1841年作られた「自然の鉛筆」が挙げられる。タルボットの発明したカロタイプはそれまで一般的であったダゲレオタイプに対して、ネガ-ポジ法によって複製を作ることが可能であった。そこで彼はカロタイプの技術を広めるために、写真集という形で発表することにした。

1841年、フォックス・タルボットによる世界初の写真集「自然の鉛筆」が出版される。1938年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にてウォーカー・エバンスが写真家として初めて開催される。展覧会カタログ「American Photographs,1938」はそれまでの一枚ずつ見せる形から、一連の流れで編集されており、近代的な写真集の始まりとされる。1952年、アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集、「Images a la Sauvette(決定的瞬間)」が出版される。表紙はアンリ・マティス。1955年、MoMAにて「The Family of Man(人間家族)」展が開催される。展示を含め、人間が生まれてから死ぬまでの時間軸にそってエリオット・アーウィット、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・キャパなどの写真を並べるカタログの編集方法は、その後の写真集作りに大きな影響を与えた。1960年、土門拳写真集「筑豊のこどもたち」出版。1971年、荒木経惟写真集「センチメンタルな旅」出版。私写真の幕開け。1991年、荒木経惟写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」出版。「愛しのチロ」とともに日本の写真集としては異例のロングセラーになる。これに合わせて行われた篠山紀信との対談で両者の考え方の違いから絶交状態になる。篠山紀信 撮影、宮沢りえ写真集「Santa Fe」が出版される。日本における写真集の売り上げトップに。

新聞などの報道写真を撮影する人(彼らはフォトジャーナリストといわれる)、風景を専門に撮っている人や人物だけを専門に撮っている人、商品撮影(ブツ撮り)専門の人などもいる。ジャンルにより、戦争写真家、動物写真家などとも呼ばれる。使用しているカメラも様々で、白黒のみの人やカラーでも少し変化を加えていたり、インスタントカメラを使ったり、コンピュータグラフィックス(CG)で加工することを前提とする場合もある。報道写真など急を要するケースではデジタルカメラで撮影したデータを、すぐインターネット経由で送るということも行われている。

インターネットの普及にともない、オンラインマガジンの発展とデジタル一眼レフカメラの動画撮影機能の発展が重なり、オンラインマガジンの動画の需要が増え、カメラスタビライザー(英: Steadicam、ステディカム)などカメラサポート機材やヘッドフォンやマイク/ICレコーダーなどのオーディオ機器や外部モニタ/液晶ファインダーなど動画撮影用の機材が必要になるが照明機材等は写真撮影を同じ物が使用できるため、フォトグラファーの分野とビデオグラファー(英: Videographer)の分野を複合して活動している者も多い。

写真集とインターネット

写真集とインターネットの歴史や関係はあまり良いものとは言えないだろう。いや逆にインターネットの登場により、写真集の歴史が潰えてきたと言っても過言ではない。写真集は、その名の通り写真を見てもらうためにその出版物を購入してもらう必要があるが、写真だけを見る目的であればデジタル画像としてインターネットを通じて見るだけで済んでしまう。つまり、写真集を出した瞬間にインターネット上にその写真データが出回り、写真集そのものを購入する目的がなくなってしまうのである。これが写真集を始めとした出版物の衰退へと繋がっていく。


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